(2009年5月29日・30日 素泊まり1人泊 1泊目@4,000円 2泊目 3,500円)
もたもたしている間に、格安チケットもどんどんなくなってきた。
あわてて取ったチケットは、旭川空港・行きは6時50分発、帰りは19時50分という
えっらい代物で、あ~ もっと計画的に押さえておくべきだった。
しかし往復3万円以内で取れたので、この時期としては予算ぎりぎりセーフ!
しかし朝4時起き……
つまり私は一睡もできず。
ぼわわ~っとした頭で飛行機に。
でも、目の下に北海道の山々の連なりを見ると!
パチッと目が覚めるからね!
空港に、旭川のセレブご夫妻が車で迎えにきてくださっている。
北海道、北海道~ 到着よ~
さあ、鹿の谷、鹿の谷~
途中、ご夫婦のお知り合いの素敵なカフェで、お茶&ケーキ。
古い納屋を解体した木材を使って、何もない原野にこのカフェの建物と、そしてもう1軒の家も、カフェのご主人が1人で建てられてそうである。
木は、大事に使えば何百年も持つ。
こんなふうに新たに使われた太い天井の梁を見上げると、木材も嬉しそうだったよ~
層雲峡の滝。
いつもは大勢人がいるそうで、誰もいないのはラッキーであった。
この風景で人間と車がウジャウジャしてたらちょっと興ざめ。
温泉に行くとやたら滝を見る。
温泉饅頭がないようなところでも、滝はある。
三国峠。
はるか下を、道路が。
限りなく広い……
雪の残る山々。ため息つきながら眺める。
道端にはフキノトウの花がたくさん咲いていた。
幌加温泉を通るバスは、1度なくなってしまったらしい。私の記憶する不確かな情報ですが、
その近辺の人々はたいへん困り、なぜなら車を運転できない学生やお年寄りもいるわけで、
行政がタクシー会社に委託して、少ない人数をタクシーで定期的に送迎したらしい。
その後国道に都市間バスが定期的に通るようになり、車以外はそのバスが現在唯一の交通機関。
だから運転免許を持たない人間にとってはたいへん行きにくいところで、今回セレブご夫婦に連れて行っていただけるのはとーっても嬉しいことなのだ、私には。
だって写真しか見ていないが、そのお風呂の写真はおっそろしくそそられる写真だったのである。
2時過ぎに到着。
まだ早かったので、お手伝いの青年が一生懸命廊下に掃除機をかけていた。
ご主人が亡くなられて女将さん1人で切り盛りしている、素泊まり・自炊のみの宿である。
しかし、グルメのセレブご夫妻が大量に食糧を持ち込まれて、私は手ぶらなので~す。
お部屋にはすでにお布団が。
セレブご夫妻は隣のお部屋、そのほかに「茶の間としてお使いください」と、もう1部屋用意してくれたので、
ご飯はそっちで食べられる。
それってすごくありがたい。布団しきっぱのとこでお食事ってのはちょっと…… だから。
おお~ 敷き布団2枚?! あ…ありがとうございま~す!!
1枚だと覚悟してきたのだ。つまり、寝返り打つと腰骨に当たって目が覚める、と。
新潟の宿よ、見習え~~!
そして、よく乾いたシーツや枕カバー。
旅館でよくある、あのクリーニング店から梱包されたのを倉庫に置きっぱなし、ピンピンに糊はついてるがジンワリしめっぽいのと違って、
ふんわりパリッとお日さまに干されてからアイロンがけしたような、なんだか温かい感じがする。
部屋に入った瞬間から、もちろん新しくはなく豪華でもないけれど、そしてつつましく何もないけれど、私の好きな「分相応に。そのなかで出し惜しみすることなく」迎えてくれるたたずまいに心打たれた。
窓の外は……
鹿でいっぱい。
春になって、鹿たちは草を食べるのが仕事。
ャワシュワ ャクシャク ャクシャク シャクシャク ガサガサ シャクシャクガサガサ ゴソッ ャクシャク ガサッ
朝5時に家を出る時には動いていた腕時計、飛行機に乗る時も降りた時も、ちゃんと動いていた。
部屋に入って腕時計をはずすとき、
「あれ? 11時10分?」
2時過ぎに宿に着いたはずなので、これはおかしい。
そうか、電池切れで止まってしまったのかな?
しかし旅行で腕時計がないと、ちと不便ね。
まあ携帯の時計があるし、それにここではあまり時間を気にしなくていい。
食べたいときに食べ、眠りたいとき眠り、そしてお風呂は24時間入り放題~
なんだか時間がゆったりと流れ、そのゆったり感が心地よい。
振り子の振幅が、とんでもなく広くなっていくような感じである。
このままどんどん大きな振幅になっていけば、
やがてついには
星辰となるのか……
この時の流れは……
4種類の源泉が溢れている。
混浴だけど時間を見はかれば、気にせず女性だけで入れた。
女性の脱衣所に明かりがついていると男性は遠慮してくれるようで、それにこの宿は、男性が入ってきてもモラルがきちんと守られているのでぜんぜん不安にならないのだ。
もちろん男性がいても平気で入っちゃいましたよ~ん
右から2番目の鉄泉がぬるめでとても好き。
まだ誰もいないので、Mrs.セレブとお話ししながらあっちこっちいろいろ入る。
しかし正面の打たせ湯がじゃぼじゃぼすごい音で、お話ししてても聞こえないくらい。
ちょっと離れると、何を言っているかぜんぜん分からず。
あれさ、止めたほうがいいんじゃない?
だれも使わないよ。
窓から見える外の景色も、とても美しい。
それを眺めながら、喜びのあまり内湯を隅から隅までウロウロと歩きまわる。
一瞬、やっかましいジャブジャブの騒音が消えた。
え??
いや、気のせいか。
露天にいそいそ。
「いいわね~え!」「気持ちいいですぅ~!」
ここは硫黄泉。でもいまはにおいはせず。
こんなお風呂があったんだ…… 胸キュン!
ここに入れる喜びを2人でしみじみと味わった。時間が、不思議にとてもゆっくりと流れていくのだ。
Mrs.セレブはさきにあがられたので、1人で裸で露天の周りを歩いてみた。
空気がおいしく、湯気が立ち上ると緑がスモーキーに美しくかすみ、お湯の音が静かに響く。
こんな贅沢しちゃってさ~…… うっふ~ん
谷をのぞくと、水が細く流れ小さな川音が聞こえる。
露天から離れて谷の深いところを見下ろそうと歩き進むと、あら?
なにか、足が地に着かないような…… 草は当たるけど……
んな馬鹿な! もう一度足を挙げてゆっくり地面に着けてみる。
えっ?! ……
不思議な時間の流れと… そても奇妙な、重力…
Mr.セレブはガス台の前に立ち、ご飯炊き担当である。
ご本片手に、土鍋の前に立って火加減の調整をなさる。
「簡単なものしか持ってきてないのよ」
とMrs.セレブはおっしゃるが、
うわ~ 山菜やらオカラやら煮豆やら焼き魚やらと、次々に食卓に出てくるの~
私が持参した新潟と山形の日本酒を飲み比べながら、土鍋で炊かれたおいしいご飯とおかずで、ほんとうに贅沢な晩御飯をいただいた。
暮れていく窓の外を見やれば、たえようもなく目に優しい緑の木々である。
なんと貴重な時間であることか。
私とMrs.セレブは青年にお願いして、ジャバジャバいう打たせ湯を抜いてもらった。
お湯は止められないので、私たちのために彼はホースを抜いてくれたのである。1時間ほど。
とても気持のよい青年で、面倒なことを快く引き受けてくださり、その結果私たち2人は静寂にみちた夜の内湯を楽しめた。
とろけそうなお湯と、オーガンジーのように柔らかで透明な時間。
夜、寝る前に缶ビール、サッポロビール・クラシックを飲みながら、玄関の受付に置いてあり、さっき買ってきた「北海道 いい旅研究室 11号」をパラパラ読んでいたら、不思議な鳴き声が聞こえてきた。
鳥? カエル? 虫? 鹿でもないし… 私には分からない。
なんだろう?
それは、綺麗な小さな声で規則正しく、間歇に、いつまでもいつまでも鳴いていた。
昨夜寝ていない私は雑誌をパタッと落とし、やっとこさ電気を消して…
眠りについた。
声は、まるで暗い夜道のサインのように、
それは、ここを目指してくる人のための、灯台のように、
いつまでもいつまでも…… 聞こえていた。
女湯の小さな浴槽もすごくいいのだ。
静かで落ちつけて、山の緑が窓の外に広がる。
打たせ湯の音がしないのでひっそりとお話しもできる。
あああああ~
なーんて…
きもちよ~い
し~あ~わ~せ~~
あれ? ふと見ると、鹿のお尻が白くないのがいた……
じっと目を凝らすと…… うーむ… というか…
見ていると瞬間で白くなったわ! 変!
宿の手伝いの青年たちのために夕食を作っている女主人の台所の一部をお借りして
私も夕食のおかず作り。
彼女は少々耳がご不自由なので、ちょっと大きな声で時々お話ししながら。
彼女が作る何種類ものおかず類が、あまりにおいしそうなので驚く。
お手伝いの青年たちも大喜びだろう。
そして彼女は私のほうに向き、窓の外を指差して「ほら、たくさん来たでしょ?」と。
たくさんの鹿が、窓のすぐ外に来て草をはんでいる。
彼女が小声で「きょーん、きょーん」と呼ぶと、
20個くらいの黒々した目が一斉に彼女を見つめ、
なに? なに? レタス? レタスくれるの? なになに? なに? なに? レタス?
どの鹿たちも、人間のごくそばで、恐怖感のない穏やかな様子でせっせと草をはみ、物音に顔をあげることはあっても、その目には警戒心が皆無なのだ。
彼女が台所をあちこち動いて料理する姿を目で追いながら、私はあることに気づいた……
80歳過ぎとは思えない軽やかな足取りで台所を動く小柄な体の後を、瞬間、光のようなものがふわっと付いていくような……
?…… なんだろう?
色白で、若かりし頃は評判の美人だったであろうとても上品な方で、過疎の山奥の湯治宿の女将さんというよりは……
庭師の手入れが行き届いた邸宅のお庭を、朝露に濡れた1輪のバラの花を取ってきましょうね、と。
ひっそり散歩されている貴婦人みたいな風情なのだ。
Mrs.セレブと2人で「あの方、どんな人生を歩まれたんでしょうね? お聞きしたいわね?」
と、盛り上がってしまいました。
ここの鹿は…
単なる鹿に見える。勿論。
しかし…… (ダジャレではない!)
これは、鹿だけど鹿でないわ。絶対!
私はついに意を決して…
窓の近くに来て夢中で草を食べている鹿の1頭に話しかけた。
「鹿!」
えっ? という顔でこちらを見る。
つぶらな目と、濡れて光る黒い鼻。
「鹿! 私は分かってしまったのよ。
ここは地球じゃないね? なんというところなの?」
わたしゃ知りませ~んみたいな顔で耳を伏せて歩き出そうとしたから、
「だってここ、露天の周りに重力感じないとこがあるもの! それに内湯の中を歩くと音が消えるところがあるし! おまけに私の時計は止まっちゃったし! それからさっきお尻が突然白くなった鹿がいたよ!
鹿! ここはもしかして…… <アルファビル>?」
しばらくじっと私の顔を見ていたけど、観念したらしく
「分かってしまいましたか… しかたないですね。でもここは<アルファビル>ではありません」
(あらま~ ゴダール知ってるのかい!)と思ったら、すぐさま
「ゴダール知りませんが、いまあなたの頭の中の映像が見えました」
(さいですか)
「鹿! あなたのお名前は?」
「鹿7号」
「まあ~ なんてベタな… 」
「ほんとは違います。けれど教えたって地球人には聞き取れません。そしてここは惑星<鹿の園>ですよ」
「<鹿の園>?! (ノーマン・メイラーかい…) あ、ますますベタですね~」
「地球人はベタでしか理解できないでしょう」
「あの、ここは地球と地続きに思えるけど、ゴダールの映画<アルファビル>のように車を走らせ続けると到着する異星、地球の重力と時間から解放される惑星、<鹿の園>なんですか?」
「そうです。
あるがままを分かる人だけが分かり、あるがままを見る人だけが見え、あるがままを聞く人だけに聞こえます」
「あの、宿の女主人は……?」
「彼女は、地球人のいうところの…… えっと、女王様です。私たちは彼女をサポートして仕えているのです」
「やっぱり! で、あなたたちは何のためにここを作ったんですか?」
「女王様は宇宙の偉大な存在から使命を受けているんです。
知性の低い地球人がこれ以上劣化すると、この美しい惑星は消滅します。
劣化を防ぎ、魂を浄化させ、洗練と高潔さを植え付け、宇宙の生命体の仲間入りができるようにする、という使命を」
「そうか。そうだったんだ…… しかし、そうとう月並みなお話ですね」
鹿7号の黒い目がギラッと光った。
「私が、本質的な、深遠な事実を語っても、あなたたちの知性ではとうてい理解できないでしょう。ゆえに私はあなたに理解できるように、陳腐な寓話を聞かせざるを得ないのです。
その事実を想像できないでいる自分を、まず想像しなさい。
そこがあなたの知能の限界であることを。
どれほど自分が思い上がっているかを、識りなさい」
私は恥ずかしくなって下を向いた。
鹿7号は優しく
「そして、陳腐な寓話の続きで言いましょう。
帰ってからここの時間を思い出し、そのときに湧きおこる柔らかで優しさにみちた感情を、他の人に分けてあげること。
それがいまこの瞬間、あなたの使命になった、ということを」
そしてぐるっとこうべをめぐらせ、
「あなたたちが眠っている間にも、我々はここのメンテナンスをし続けているのです。
それはとてもとても大変なことで、完璧を期すのですが…
どうしても小さなミスがあって…
重力の不具合とか、無音の隙間をふさぐのに失敗したりとか…
えっと… お尻のしっぽのところを白くするのを忘れたり、とかも…
そして最近、地球人の邪悪な力が吹き荒れるときがあって、とても大きなホールがあいてしまうのですよ」
「ええーっ! がんばってください! お願いですからここをなくさないでね!」
鹿7号は、つぶらな大きな目で私をじっと見てから
「それは、あなたたち地球人しだいです。あなたたちの星なのですから……」
帰る日の朝、私は窓の外の鹿に向かって呼びかけた。
「鹿7号!」
目の前の数頭の鹿がハッと顔を上げた。
いちばん隅にいた小さめの鹿が窓の下に来て
「いけませんよ。 ばれます」
「あ、すいません。
ひとつだけ教えてください。
私は地球時間でどれくらいここにいたのでしょう?」
「地球時間で2年」
「ええーーー!! に、にねん?!浦島太郎状態? 私、帰ったらシワ増えてるってわけぇー?!」
「しっ! 静かに! 大丈夫です、ちゃんと完璧なシステムが整っています。
帰りの車がその上を通過すると重力が戻る場所があります。ガタガタするから誰も気づきません。
そこで一気に時間と空間を戻すのです。
シワもちゃんと計算して地球時間で2日分に戻ります」
「おお~~! 素晴らし~い! できたら年齢は多めに戻してほしいでーす!」
「そういう不埒な発想はおやめください」
そうだったんだ……
鹿7号はじっと私を見上げて
「あなたの良識を信じます。約束ですよ。誰にも言わないこと。見える人間が、見えればよいのですから」
「はい! わかりました」
「私たちは手助けしかできないのです。この星はあなたたち自身が守っていかなければ。
あ、お母さんがこっちを見てる!もう行かなくちゃ」
向こうで草をはんでいる鹿たちの中に1頭、じっとこちらを見ている鹿がいた。
「あれがお母さん?」
「地球でいうところの、そういう関係です。我々のリーダー」
「なんてお名前?」
「… 鹿1号」
「……」
鹿7号はキッと私を睨んだけど、何も言わずゆっくりと、こちらを見ている鹿1号のほうに、白いハート形のお尻を見せて去っていった。
帰りの道で車がある地点を通過するとき、
お尻がググッとシートにめり込むのが分かった。
「あ、地球の重力が戻った」
これでまたグラビティーのある、いつもの時間と生活に戻るのだ。
シワの調整もされたんだろう。
年齢も2~3年よけいに戻ってたら嬉しいな~ とか不埒なことをまた考えた。
突然私の携帯が鳴り、そこにはメールやら留守番メッセージがたくさん入っていた。
こうしてセレブご夫婦と私は、地球時間で2年、惑星<鹿の園>で2日間の滞在時間を夢のように過ごして山を下ったのである。
この話は、誰にも言わないでね……
鹿7号と約束したんだから。
家に帰って、バッグから役立たずになった腕時計を取りだした。
電池取り換えないで、このまま記念に取っておこうかな~
いや、もしかしてまたあの宿に行ったら、この腕時計は動きだすかもしれない……
「女王様!! 鹿1号!鹿7号! どうかあの空間を維持してくださいね~! なくさないでくださいね~!!」
そして私はすっごく利己的な人間なので、
内心で(私の生きている間だけでいいですから~! )と付け加えた。
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