飛行機の中から三陸の被災地を見下ろして胸の痛みを覚える。
多分一生続くだろう。
しかしセンチメンタルなだけだ。
通俗悲恋小説を読んだって、 時には泣けることもあろう。
今日も雲間に見え隠れする、深く切れ込んだリアス式の海岸を見ながら、そう思った。
この感情を単なる感傷に終わらせないために、私は何かできないものだろうか?
ずっとそんなことを考えている。
幸か不幸かダラダラ続いているサイトを私は持っているから、
何かそこで感傷に終わらない創造性を伴った展開ができないものだろうか。
わたしゃ怠け者のくせに「現状維持」とか「相変わらず」というのが嫌いなのだ。
変化、ではなく、ある種の生成、ということか。
頭の中に浮かぶ乏しい語彙を探っていた。
<生成>。
この言葉には、頭を抱えてしまう。
しかし一方通行ではなく、私と、他者との間に生まれるもの。
自分自身のイマジネーションとクリエーションを通じて……
それができたら。
どこかで常に何かを創りたいと思い続ける。
ゆっくりでいい。しかし変わらねばならない。このままではいけない。
より自分が納得できる形に。
旭岳という山は、私にとって特別な山のようである。
あの山のそばに行くことを考えただけで、テンションが上がる。
行こうと思ったその日から、晴れやかに朗らかに、もの皆すべてに幸運に恵まれる、
そんな山である。
他人との応対もやけに優しくなれる。
(ということは…… ふだんはすべてその反対、ということか)
人はおのずとそれぞれ〈気〉が漲る〈地〉があるのだ。
その場所に行くと、個体の生命力が活性化され、生き生きとエネルギーに満ちる。
逆にエネルギーを吸い取られるような場所もあり、そんなところに行くと風船がしぼむようにおなかからエネルギーが流れ去ってしまうように感じ、思わずおへそのあたりを押さえたりする。
登ると旭岳の姿が見えなくなるので、登りたいとは思わない。
山を見続けていたい、と渇望する。
もちろん、晴れた日のロープウェイから一望する、広大な斜面の彼方に連なる山々の風景も素晴らしいけれど。
でも、今回の天気は雪マーク。
雪もまた嬉しい。
雪が降り積む中で、旭岳の方向を見やりながら、
この次はきっとね、と思うのも、またいい。
夜、三線の音が響いてきて驚いた。
奥を伺うと、どうやらご主人が弾いているようである。
練習中の音ではあったが、三線は素人が弾いてもすぐに音は出ない。
室内は広く音響はデッドではなかったが、響きの少なさは外の雪景色が影響しているのだろう。音の質が良く、優れた楽器であることが伺えた。
高価なものだろう。
これでもし環境のいい、響きのいいスペースで爪弾いたら、
どれほど伸びやかに奏でることだろうと想像できた。
このロッジの壁にかけてあるギターなども、みるからに高そうなものだった。
若い時は音楽家を目指していたのかもしれない。
北海道の人たちが南を志向する気持ちはとても強いものがあるようで、
聞けばかなりの人が沖縄、石垣、屋久島などに旅行していて、中には移住したりする人もいる。
2日目の朝、旭岳が白い姿を見せてくれた。今回は始めから見られると思っていなかったので、何とも嬉しかった。
2つのゆるい稜線がグレーの空と溶け合って、静謐で瀟洒な佇まいであった。
仕事には workと businessと job があるが、自分のやりたいことができて、それが食い扶持に繋がれば、こんなにいいことはない。
workとjobが一致するのは、多分希なことだ。
日々のjobに汲々としている私には、羨ましい限りであった。
いっとき、強烈に吹き下ろす風に、乾いた雪が砂丘を滑るように流れていったが、
風がやむと月明かりが冴え冴えと、白い雪を輝かしていた。
この宿は、北海道生まれのご主人と、
大阪生まれの奥さんとで切り盛りしている。
北海道の宿にありがちな、井の中の蛙に陥らず、
この自作のログハウスの中には、自分がいいものがいい、自分の好きなものを追求する、という精神が通っていて、感性の風通しがいい。
もちろん道産のものにもこだわって、ご主人の釣ってきたヤマベや、採ってきた行者ニンニクも出るが、他の地域のいいものもさりげなく取り入れられていた。
京都・一保堂のほうじ茶がおいてあったので、持参の加賀の棒茶の代わりにいただいた。
細かく刻んだ美味しい漬物は、遠野の漬物だそうである。
私にはやや重くやや短い箸だったが、その木の箸の先端がピシッと合い、気持ちよく、
どこの箸か尋ねたら、埼玉の店とのことだった。
それだけのこだわりがあっても、敷布団と掛け布団は綿の重い布団1枚、と、
私には少々厳しかったが。
まあ、1日、2日であればなんとか。
穏やかな風のない白い道をロープウェイの駅まで歩き、また引き返し、
向かいのラヴィスタ大雪山でコーヒーを飲んで、振り返り振り返りしながら湧駒荘まで坂を下って行ってプリンを買ってきた。
いつ見ても、素敵な山であった。
来る時に旭川空港発のバスに、乗れると思っていなかった1本前のバスに間に合って、
3時間も早く宿に着き、まだ明るいうちに、ゆったりと流れる時間を味わえた。
帰る時は北海道中が台風並みの低気圧に襲われ空港では飛行機は飛ばず、
9人の方が暴風雪で亡くなるという痛ましい事態になったが、
なぜか旭川だけは穏やかで、帰りには青空も見えていた。
どうもありがとうございます。
いい旅だった。
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