(2011年11月5日 2人泊 @9,600円)
母がめまいをおこしたらしい。
「旅行はキャンセルしたほうがいいかしら?」との連絡が入ったので
まだ2週間先の話、88歳にもなれば寒暖の差でめまいぐらいおきるから気にせずに
新幹線を予約しているわけでもないし、もし2~3日前になっても治まらなかったら宿のキャンセルすればいいからと、安心させた。
その日は病院に連れていってもらって、帰りには元気になり、
夕食もしっかり食べてお風呂に入って寝たとのこと。
年寄りじゃなくても、今日は25℃で半袖、翌日は16℃で木枯らし、の異常気候では、
若い人だって風邪が治らずいつまででも鼻をグズグズさせていたり、
微熱が続いて1週間も下がらない、などと言っているんだもの。
あの大震災のあと、関東地方は大小取り混ぜて四六時中地震があり、母も暫くは家から出たくなかったようだ。
やっと心理的にも落ち着いてきて、夏の暑さも去り、そろそろ温泉でも…となっても、
<爽やかな秋晴れの日>は、どうやら日本列島から逃げ去ってしまった。
まあ年寄りには寒さが続くより暖かい日が多くてなによりである。
母ももう温泉のお湯がどうこう、お風呂がどうこうなど、とんと言わなくなり
お風呂は1回入れば十分、
疲れない距離のこぢんまりした宿でゆっくり上げ前据え膳、
おいしいお刺身をたくさん食べて孫にお土産を買って帰る、
そんな旅行が一番落ち着けるような風情が伝わってきたので…
本日の宿は東海道線のグリーン車に揺られて1時間半、相模湾の新鮮でおいしい魚がたっぷり食べられる真鶴、ネットで探すと、この地で生まれ育った方がご主人の小さな民宿である。
駅からタクシーで5~6分、タクシーは宿への急な細い道もバックで上がってくれたが、
そこから先は自力で階段を上がらないと玄関に行けない。
いや~ この年でよくぞ上がってくれました!
辿り着いたときには、母は息が上がってハアハア言っていたが。
しかし自分の足で助けも借りずにこれができる、母の健康で健脚であることのありがたさ。
してこれまた部屋は2階であったから、慎重に手すりを掴んでのぼらせ、
なにがし私も気を遣う。
6畳よりやや広め、テレビ付き、お布団は自分で敷く。
「気がおけなくていいね」
窓の外は裏庭の木々。
宿は真鶴半島の真ん中の丘の上なので、両側に海が見える。
この日はくもっていたので、おかしな陽気で新芽が出ているイチョウのかなたに
かすかに海が見えた。
まずはお茶など。
お茶菓子はないが、ちょっと寛いだらお風呂にでも行くか。
タオル、バスタオル、浴衣や歯ブラシなどは揃っていた。
風のない穏やかな夕暮れで、洗面台の窓からは真鶴港が望める。
窓のすぐ前には、まだ青いミカンがたわわに実っていた。
洗面台の脇にはトイレ。
急峻な斜面に、ミカン、柿、そしてよく見ると里芋などがあり、
ああ、いろんなものが採れるんだなあと、微笑ましくのどかな気分になる。
風呂は地下に大小2つあり
「今日は大きいほうにお湯を入れてあるので鍵をかけて貸し切りで」
とのこと。
またしても階段だが、母、元気な足取りでさっさと降りていく。
湯船は小ぶりだったが、2人なら十分の大きさ。
薄いグリーンのタイルも清潔感がある。
温泉ではない普通の風呂だけれど、
母の背中を流しながら、今の私たちの気分にちょうどいい感じで、
なんとなく2人でなごんだ。
何の変哲もない庭の風景だったが、
あったまったところで窓を開けてみると
母が「あら! 土のにおいがする! 風が気持ちいいねぇ」
おなかもすいてきて、風呂から上がればおいしい魚の食事も楽しみだし、
なによりもふだんならば何かと慌ただしいこの夕暮れ時、
母と2人でこんな時間を過ごせることに感謝しなければならない。
夕食は1階の食堂で6時から。
本日は2組。
柿は庭になったものだそうだ。
歯ごたえよく、甘みもある。
「毎年味が違いますね。今年は柿の出来がいいみたいです」と、私と同年輩の元気な女将さん。
サザエの壺焼きと、酢のものはモズク。
すぐに舟盛りが出てきた。
マグロ、鯵、そして初めて食べるカマス、金目、サザエ、イカ、そしてウニ。
カワハギはちゃんと肝も付けてくれて、お醤油と混ぜてとろとろをお刺身に付けていただく。
ソウダガツオ。
新鮮なカツオの味わい、どんどん食べられる。
軽くしめた〆サバ。
おいしい青魚って、病みつきになるのであった。
母満面の笑みで、私以上にパクパクとすすみ、
あ~ 連れてきて良かったわ!
宿のご主人の手づくり干物のカワハギ。
甘塩で香ばしい。
母、ウニ嫌いなので全部いただいちゃった~
地産地消の極み、朝ここで採れたのを夕方お口に入れる幸せ!
トロリ~ン あまあま~
母がご飯でいただいている間にお燗で1合。
焼き立て甘鯛の塩焼き。
脂がのっている、久しぶりの甘鯛くーん。
ご飯とお吸い物で、もう満足!満腹!だったんですが。
甘鯛を入れた湯豆腐が… って言われて、これは無理!
って言ったら
「では、お豆腐だけ明日の朝食にお出ししますよ」
かつ、甘鯛の餡かけって言われて母は「それは無理」
私は「半分で」
甘鯛の素揚げに野菜の餡をかけたもの。
出来立てを運んでくれたが、餡の塩味が強すぎて半分も食べられず。
これはなくてよかった。
魚、魚、魚~ おいしかった~
ごちそうさま~
デザートのミカンを持ってお部屋に。
夜の漁港。
静かで…
そして平和な風景だった。
かすかに波の音が聞こえる。
私は1人で、暗く穏やかな海をしばらく見つめた。
胸の奥深くで、なにかキュッとよじれるように痛いものを感じた。
翌朝は、風がなくくもった朝だった。
とびっきりおいしいアジの干物は、朝一番に笑顔になれる。
窓の外を眺めながら
「おいしかったねぇ」と母ニコニコであった。
可愛い真鶴駅。
帰りは2駅小田原寄りの早川駅で降りて、小田原魚センターというところで土産物を買うことに。
早川駅は<日本で一番漁港に近い駅>なんだそうな。
確かに駅から歩いて1分もしないところに漁港があった。
津波がきたらどうするんだろう… という考えが一瞬よぎった。
たいした規模ではないので、それなりのものしか買えなかったが、
まあ、母にはこの辺で我慢してもらって、疲れないうちにと早々電車に乗って帰路に着いた。
小田原魚センターで唯一私が買った小田原産のレモン。
ワックスがかかっておらず、皮まで使える、安心な国産のレモン。
これは… しかし果たして<安心>なレモンなのだろうか?
そんなふうに、今までは考えもしなかった疑念がつきまとうようになってしまった人も多い。
そして幼い子供たちの母親は、極度に過敏になっているのかもしれない。
私たちの日々のエナジーの源、食物。
野菜や果物や米や、魚や家畜。牛乳。そして水。そして空気。
食物や水や空気の<安心>という概念が揺らいでしまったいま、
私たちはそれをどう乗り越え、未来に託していけばいいのだろう………
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