福島 飯坂温泉 なかむらや旅館

(2012年2月11・12日 1人泊 @12,750円)








飯坂温泉 なかむらや旅館

奥州三名湯と謳われる飯坂温泉は、去年の震災が起こらなければ
私は多分行かない温泉地の一つだったろう。

<なかむらや旅館>の、江戸期から伝わるこぢんまりとしたいい佇まいには惹かれたが、
お湯が熱く、周囲はいわゆる温泉地の景観。                       



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私の目指す温泉とはちょっとかけ離れていた。

震災後あちこちの宿から葉書がきて、
その中には木造の建物がどうなったか気になっていた宿もあり
「改修して再開いたしました、またよろしくお願いします」という文面にほっとしたりもした。





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うちのマンションの大家の奥さんの実家が郡山で
「大丈夫でした?」と聞いたら
「外見は無事でしたが、家の中はピアノやベッドがとんでもなく動き、食器は壊れ天井が剥落して住めたものではないんですよ」
と言われ、建物の倒壊はなくとも、福島県ではやはりそうとうな被害があるのを実感した。


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震災から11カ月近くたっても福島のいわき湯本以南の多くの宿は、
行ってあげたくとも復旧工事関係者、原発関係、警察関係者の宿泊施設と化していて、
まだ一般の人の受け入れができていない。



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<なかむらや旅館>の、あの白壁の建物はどうなってしまったんだろう……

再開したのだろうか……

この際、自分の好みは二の次である、電話をしてみた。

女将さんらしき女性が出て、快く土曜・日曜の1人泊を受け入れてくれた。
「日曜に大勢集まりがありまして、うるさいかもしれませんが宜しいですか?」
夜のどんちゃん騒ぎは困るが、昼間の宴会は全然気にならない。
「すみませんね、地元の方たちの集まりなんですが、人数が多くて」

こんなところにも気を遣ってくださる方なんだ、と嬉しく思った。

「飯坂、雪はあまり積もっていないんですが、凍って道が滑ります、そしてすごく寒いので十分に暖かな服装で、靴も滑らないものを、あの…長靴でもいいくらいなので…」





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さすがに長靴はちょっと、であったが、ご忠告通り絶対滑らないごついのを履いてきたら、
いい天気で、電車でヒール姿の女の子の隣に座ると、恥ずかしっ……
(まあおばさんなので許容!)



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壁の剥落もなく、いや修理の結果か。外見は無事である。

玄関のガラス戸の色が新しいのは、入れ替えたのであろうか。


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ぐるっと周りを歩いてみる。

蔵も窓が開き、昔のままのようであった。





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玄関を入り声をかけると、若い時は美人女将として名を馳せたであろういまだにお綺麗な女将さんが奥から来られ
ごつい靴をぬいで上がり、ご挨拶をする。

「こんな小さな宿を、よく探して来ていただきまして」

部屋は2階だが、廊下に沿って左手の風呂の説明などをうけながら
ぐるっと回り左奥の蔵のそばの階段を上がって2階に進む。

「まだ修理の途中でゴザなど敷いてあってお見苦しいのですが」



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廊下も震災の影響を殆ど感じない修復ぶりであったが、ところどころ足の裏に伝わる床板のゆがみがあった。

本日のお部屋は玄関の脇すぐの階段を上がった部屋で、
部屋に入る手前で女将さんが
「ここにちょっと段差がありましてね、ご注意ください」

あの地震の揺れで2階の床が6cm下がり、下から柱で持ち上げたそうである。
そういえば玄関を入ってまず、真新しい柱の色が目に入った。

私は思わずしゃがみ込んで、その床の木をなでた。
「この木の床は6cm落ちても、よくぞ持ちこたえてくれましたね、いとおしいです」
女将さんはうなずき
「本当に… よく持ってくれました」





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部屋は改修された今風の綺麗な広い部屋であったが、
どちらかというと古い湯治の部屋が好きな私はちょっとがっかりした。

そして残念なことに障子の向こうは隣の家の壁で、開けても景観は皆無。
まあ1人なので仕方なし。

お茶を淹れてくださる女将さんに、被害の状況をお尋ねする。

「お客さまにこんなお話しをするのはどうかとは思うんですが……」

いえいえ、話してください。震災だけでなく原発事故、風評被害、こんな理不尽な経験をされて、
やりきれない絶望感や、そして悔しさで唇をかまれたこともおありでしょう。
全部をお聞きできないけれど、どうぞ話してください。その経験をお聞きするのが、
それが私の今回の飯坂温泉の旅の目的です。



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家具は倒れ、手すりも倒れ、床は落ち、壁はずれて、お湯は止まったそうである。




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それでも江戸期に建てられたこの3階建ての小さな宿は倒壊しなかった。



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「ここまでの修繕が大変だったでしょう?
かつてと同じ材料さえ手に入らないのでは?」

「そうなんです、ほんとに大変でした。でも知り合いにいい大工さんがいて、ここまで直してくれました」






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家を造るのは、コラボレーションである。

これだけの建物ともなると、腕のいい大工の棟梁だけでなく、欄間の彫り物ひとつおろそかにできず、そして土壁の左官、鏝師の技術も、経師の腕も試される。そしていまどきその年代の材料も素材も手に入れるのはかなり困難になっているのではなかろうか。


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そんな技の集積としてのこの宿の修繕を買って出たその大工さんの存在は大きい。

「いい大工さんがお知り合いでよかったですね、いいご縁がありましたね」
「ほんとうに『自分が元通りにしてやる』って言ってくださって。ここまでになりました」

女将さんは涙ぐまれ、私も思わず涙ぐんだ。






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「あ、お尻に根が生えてしまって! 
こんなお話しばかり長々と、失礼いたしました」

女将さんの仕事は忙しい。

私は暇だが、お引き留めしてお仕事に支障が出たら申し訳ない。




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1階と2階の間の踊り場に、洗面所と厠がある。

建物にたくさんある柱と梁が空間を細かく分け、その結果地震の揺れを逃す構造になっているように思えた。

よく磨かれ手入れされた硬い欅。




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トイレはシャワートイレと、和式。そして男性用。





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個室は改修のためにやや狭く、そして両サイドと天井にはめ込まれたガラス絵は、
あの地震によく耐え、ヒビも欠落もなく、大きなガラス面も磨き込まれ、繊細で、静謐に存在していた。




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女性用・男性用それぞれに違う趣きのガラス絵は、大変いい保存状態だったからこそ残ったのである。

裏壁との合わせや縁の木とのゆるみがなく、僅かな隙もなく壁や天井と合わさっていたからこそ一体となって揺れに耐え、落ちなかったのであろう。
日頃の手入れの在りようが偲ばれる。




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この家に生まれ育った女将さんの矜持が伝わってくるようであった。

私はトイレで、しばし感動した。





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洗面台の古い蛇口もそのままであった。






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もちろんお湯もちゃんと出る。







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2箇所の風呂はいずれも鍵がかかり貸し切りで使えるとのこと。



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こちらは旧鯖湖湯にあった御影石を用いた風呂だそうな。

水出せるかな~  熱すぎるのはな~ 
落ち着かない。




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小ぶりの風呂は水道栓もあってホースで水を引き込め、
私仕様でじゃんじゃんうめてバッチリぬるくして楽しんだ。

循環用の穴もあったが作動しておらず、お湯の量に見合う小さめの風呂は気持ちよくかけ流されて
坪庭に残る雪を眺めながら、徐々にお湯の温度が高くなって汗が出てくるまでまったりつかった。



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縁の御影石はすべすべと、気持ちよかった。










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お湯につかっていると、煮魚のにおいが漂ってきて、
ああ、もうすぐご飯だ……

すごくおなかがすいてきて、夕食が楽しみ。




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部屋は禁煙だったので、玄関の囲炉裏に灰皿を持ってきてもらってここでタバコをすった。



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上がり下りにちょうど良い位置、中心からやや左の部分が一番すり減っている、欅の階段。

いったい何人の足がここを踏んで通ったのだろうか。





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女将さんに
「蔵はどうなりましたか?」とお尋ねすると

「大丈夫でした。中をお見せしたいんですが、とにかく家じゅうのものをいったん蔵に運び込んだので、物置と化してましてね。私の部屋も物で溢れていて自分が座る場所もないくらいで」

古くから伝わるものが、たくさんあるのだろう。




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「このたびのことで、要らないものは私の代で捨てようと決心したんですよ。
蔵に入って整理しだすと、家族の思いがけないものが出てきて。
孫の賞状やら伯父の書いたものやら。見入って時間を忘れてしまって、蔵は暖房がないものですから風邪をひいたりしまして」

ええっー?! お体に気を付けてください。
「はい、ほどほどに頑張りすぎずに、元気にやっていきます」

笑顔であった。










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湯治の宿らしく、お部屋に持ってきてくれる。

しかし湯治の宿らしからぬ器の数々で目を見張る。



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板前さんを置いたことがないそうである。

女将さんは「家庭料理ですが」とおっしゃるが
好もしい味付けの、優しい丁寧なお料理の数々であった。

丸大根、いわゆる聖護院大根の煮付けがたっぷりとあって、甘くおいしくちょ~嬉しかった。




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あとから美人の若女将さんが運んでくださり、ご挨拶する。

地震の時に1人で3階にいたそうである。

みなさんご無事で何よりであった。



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海から離れた土地なのに海のものがたくさん出てきて、そしておいしいので驚く。

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聞けば、福島の市場は太平洋と日本海それぞれの鮮度のいい魚が入るんですって。

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私、なんとなく山菜&岩魚系かと思っていたんです。

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ほっき貝と黄身酢の酸味もほどよく、おいしくてちょっとウキウキ。

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漆の器のご飯と汁。

お米もとてもいいお米で、そしてニラ玉の<家庭の味>もとっても良かった。









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もう1箇所のお風呂は木の縁でやや大きめ。

もちろん熱いから水ジャンジャン。



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夜中も入れてまたも水ジャンジャン。


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このビール1本につき1円が復興支援にまわされるそうです。

もうちょっと気前よく、30円くらいまわしたっていいんじゃないか?







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翌日は朝から雪が降った。

日本海側の豪雪地帯には申し訳ないが、私はこの雪景色が見られてとても嬉しい。



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朝風呂、気持ち良し。





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さて、朝ご飯、頑張るぞ~
朝は踊り場にコーヒーが置いてあって、それをいただいてから。


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しかしいつもコーヒーだけで済んでしまう人なので、それで終わってしまうような気分になったが、
若女将さんがよそってくれたご飯を前に……気合いを入れます!



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手作りのなめらかなお豆腐。

ラジウム卵も海苔も食べられなかったが、ちょっとずつおいしくいただいた。




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食後、囲炉裏ばたで一服。

3本の真新しい柱は、1本が25t の荷重に耐えるそうである。
「3本の柱で、75t まで耐えられます。復興の柱って、呼んでいるんです」と女将さん。

その向こうに、この家の家紋であろう鷹の羽が見えた。

私は過去とか歴史とかにはからっきし興味がないのだが
そういえば私の父方の祖先は過去帳によると会津の武士だったらしく、うちの家紋も違い鷹の羽であることを思い出した。

幼い頃この家紋を見て
「こんなつまんないのじゃなくて、ちょうちょとか花とかのほうがいい」と言ったら、
母が「家紋は決まっているから変えられない」と言ったので、いたくがっかりした記憶がある。

梁の鷹の羽を見上げながら、なにか親近感を覚えた。









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すぐそばに外湯、鯖湖湯がある。

「震災直後水が止まり、電気も止まり、お湯も止まってしまい、かろうじてガスは通ってましたが……」
女将さんは話される。

「4日目に僅かですが、それまで止まっていたお湯が出てきたんです。今のようにではなく、ほんのチョロチョロと。
それを見て… ああ…… 神様は見捨てなかった。と涙が出ました。

そのお湯を溜めて、お風呂を開放して入ってもらったら、後から後から人が来て……」
大変な状況になったらしい。

「日本人って本当にお風呂が好きなんですよね、噂を聞き付けて人が途切れることなく。この辺の3軒の宿は連日人で溢れてました。外湯は開けなかったんですよ。外湯が開いたのは1カ月たってからでした。

あの後、お礼に来た人がいたのですが、全然覚えていなくて。
1000人からの人がうちの風呂に入ったもんですから。もう無我夢中で…」



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日本人が風呂好き、という理由だけではないと思う。
風呂に入れる、ということが、日常に復帰する第一歩だったのだ。

1000人以上もの人がなかむらや旅館の善意に涙したのだろう。

震災後すぐにお湯を開放した3軒の宿、1カ月後に開放した外湯。

これだけ聞くと
「宿、えら~い! 外湯なにやってんだ~!」みたいに短絡的に考える人がいるかもしれない。




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けれど、
水は出ない、電気もつかない施設に、60℃を超えるお湯が溜まったとしても、
いったいどうやって適温にすればいいのか。

そして大勢の人が詰めかけている場所で、暗くなってきたらどのように明かりを確保するのか。
管理人もいない状態で、万が一なにか起こったら誰が責任を取るのか。

お湯があるのに1カ月も開けられない外湯を管理している組合も、どれだけつらかったことか、と私は思う。






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明治期に建て増しされた2階の部屋では、本日集う地元の人たちのために、宴会の準備がされていた。




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2階と3階を支える見事な欅の柱。

若女将によると、修理に携わった建築家が、1階と2階にあるそれぞれの柱が地震の揺れを分散し、倒壊を免れたのではないかと言っていたとのことだった。

幸運なことである。








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食器も献立も違う2日目の夕食。





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大変おいしく、心楽しくいただいて、夜も更けていった。









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お風呂に入りに行ったら、ちょうど宴会が終わったようで、おしゃべりと笑い声に包まれて挨拶して帰って行く人々の気配があった。

あとでビールを頼んだら若旦那が持ってきてくれて
「うるさくありませんでしたか? ご迷惑おかけして」

ぜんぜんそんなことありません。

朝、女将さんにも
「うるさかったでしょ? すみませんね」

地元で震災後の復興に尽力されていた方が亡くなり、その追悼の集まりだったらしい。







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艶やかに光る福島のおいしいお米だった。

しっかりと自分の意思を持ち行動している知り合いがある時
「九州に行ったときには米を買って息子夫婦に送ったの。
最近は旅行すると汚染されてさなそうな米を買って送るのよ」

と言うのを聞いて愕然とした。

福島の米が売れないわけである。



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この宿の多くの食器も壊れたことだろう。

それを免れた美しい器の数々。




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漆器類。



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残ったこれらのものは、きっと次の世代に受け継がれていくことだろう。








帰る間際、支払いのために囲炉裏の前に座った。

女将さんに
「本当にこんな小さな宿を見つけて遠いところをお越しいただき、ありがとうございました」

そして
「うちだけでなく、福島の風評被害に苦しむほかの温泉地も、どうぞよろしくお願いいたします」と
両手をついてお辞儀され

私は慌てて座布団から横滑りして両手をつき
「もちろんですとも。女将さんもお体にお気を付けて、まだまだ復興の長い道のり、どうぞお元気で」







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「福島県人って、ぼーっとしてましてね…… 震災、津波、原発事故…… 今回のようなことで、どうしていいかわからないんですよ」
と溜め息をつかれた。

「そうですね~ 確かにぼーっとしてるけど」
私はうなずき、







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「ぼーっとしてるけど、あったかくて素朴で、真面目で粘り強くて……  そして頑張り屋だから」

女将さんが笑った。
「そうですね」







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「そうですね、頑張りすぎないようにいたします」







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傷だらけの福島よ

その傷が癒える日がくるまで……



頑張りすぎずに、けれど倦むことなく

一歩一歩前進していってほしい。













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