(2010年4月24・25日 1人泊 @11,700円)
新宿駅から、久しぶりの中央本線。
八王子を過ぎるとまだ残っている山ザクラが緑の中にはえて、
青空のもと、春爛漫の景色が広がった。
山梨に入ると、低い果物の木々にも緑のひと刷毛が。
笛吹川も柔らかな日差しに輝いている。
そして前方に雪の残った長野の山々が見えてくる。
この辺の春はまだ浅く、ところどころに満開の桜が咲いているのであった。
茅野駅。
オーベルジュ「つつじとカエデ」以来である。
宿の送迎の車が1時に来るまでちょっと時間があるので
駅前周辺の散歩。へんなタワーが立っている。 あれなに?
青空が気持ちよかった。
ここしばらくの、なんともうんざりするようなゴタゴタを思い出し、
流れていく雲を眺めながら私は思わずため息をついた。
1時前に指定された駅前の場所に行くとすでに車が来ていて
この車に乗るのは私だけだという。
冬の間休んでいた宿は本日再開されたのだ。
私はこの日を目指して予約したのだった。
電話で女将さんらしき女性が
「山に登られますか?」
「いえいえ、温泉目当てです」
去年の1月、なんとか仕事の合間を縫って行きたいと思い電話をしたら、私が予定した日はちょうど宿を閉める日だったのである。
去年の4月に宿が再開するときには行けなかった。
だから今年こそ… 再開と同時に来てみたい。そう思っていたのだ。
電話をすると、本日土曜日だけどまだそんなに込んではいないという。
茅野市内から30分ほど走るとあたりは広大な別荘地となる。
運転していた宿の男性が「すみません、ちょっと寄るところがありますので」
別荘地のロッジの前に車を止める。
再開した今日、これからの準備で宿は忙しいのだ。
そこからしばらく走ると急峻なダートの道となる。
ヘヤピンどころではないようなかなりの急勾配、くねった道が続く。
かつては登山道だった道をここまで切り開いたのであろうか…
ところどころ日影には雪が残っている。
カラマツもまだ芽が出ていない。まだまだ春には遠い景色が広がっていた。
あら? 風花? 窓の外に白くキラキラと輝いて舞っているものが!
「着きました。お疲れさまでした」
横に長い棟が連なる、立派なロッジだった。
玄関で、女将さんはじめ宿の方たちの笑顔で迎えられた。
本日のお部屋、玄関の棟の2階の「桜」。
シンプルな6畳、テレビ付き。カーペットが敷いてあり、案内してくれたお嬢さんが
「まだ寒いので、ストーブをつけておきました」
ガラス戸の向こうにはテラスがあり、すぐ目の前に唐沢。
テラスに出ると、なんと清々しいことか!
ここに立ち、風に舞う小さな雪のひとひらを目で追い、遠くの山々を見つめ、沢の音に耳をそばだてると、
身も心も洗われていくのが実感できた。
最近自分の周辺で仕事をしている人の口から出たびっくりするような言葉に暗澹としたりするのだ。
そして「この人はそんなさもしいことを言ったりする人だったのか…」 と、滅入ったりする。
厳しい不況の折からとはいえ…
言い換えれば不況という事態は、その人間本来の品性が露呈するということかもしれない。
いずれにしてもバブリーな状況では起こり得なかったことが噴出してくるのは、仕方がないことなのであろうか。
そんなときは群れからさっさと離れて、
人間本来のまともな神経を取り戻さねば!と、強く思うのであった。
部屋の廊下のすぐ向こうは、トイレと洗面台。お湯は出ない。
トイレは和式の水洗。
位置的には隣の棟にお風呂がある。
私の部屋からはちょっと歩く。
廊下には新鮮な色とりどりのドライフラワーが飾られ、ドライフラワーに<新鮮な>というのもおかしいが
ドライフラワーも作りたてで色鮮やかなものもあれば、古色蒼然として埃だらけ、ってのもある。
清潔感漂う館内である。
お風呂は男女別、1カ所の内湯のみ。
誰もいない。スッキリした脱衣所だった。
シンプルさが心地よい。
戸を開けると、打たせ湯の落ちる音が大きく響く。
真ん中に桶があり、源泉がかなりの勢いで流れ落ちている。
小さいほうの湯船は加温・循環のお湯でかなりぬるめ。
源泉は10℃前後の鉱泉。手を入れるとそうとう冷たい。
桶の下には白い沈殿物。飲んでみるとかなり酸っぱい。
大きいほうのお風呂は、加温・循環・ろ過(涙! たぶんボイラーを痛めないように)だそうである。
温度は適温。
露天はないが、高い天井には窓が大きく取られ、空が見え、流れる雲が見える。
もちろん真っ先に小さいほうのお風呂に入る。
脱衣所には成分表はないが、お湯はかけ流しと書いてあった。
でも湯面は縁から10㎝ほど下がっていて、溢れてはいない。
甲子温泉 大黒屋で<縁に突っ伏す腕枕スタイル>が定着した私にはこの縁から下がった湯面だと収まりが悪く、カタチが決まるまでしばし試行錯誤。
まあなんとか落ち着いてユラユラと。
泉質は二酸化炭素冷鉱泉と書いてある。冷たい源泉だとあまり二酸化炭素という感じがしないが、たぶん、加温かつ循環で噴出してくるお湯のために、あっという間に体に泡が付く。
組まれた大きな岩に苔がびっしりとはえて、木造りのお風呂もとても気持ちよかった。
豊富な量の鉱泉でも10℃を切るような温度、山のロッジでは、これはやはり沸かしたお湯をかけ流し、というわけにはいかないのだろう。
たいへん残念ではあるが。
1人だったので、窓を開けてみた。
あちこち開けようとしたけど1カ所しか開かず、しかしその窓を全開して風が通るのを楽しんだ。
目の前の激しく落ちる源泉の音も次第に気にならなくなる。
でもこの<打たせ水>に打たれるのはどうみても修行だろうから、温泉に入ってそんなことをする人もいないでしょうね~
風呂場に滝があるか~ みたいな感じね。
2時間ほどまったりと入り、爽やかに上がった。
雪はやんだがかなり冷えてきて、夕暮れとともにストーブが恋しい。
しかしこの寒さが、なんだか私にはすごく嬉しかった。
6時10分ほど前に「お食事の支度ができました」と館内放送が流れた。
おなか、すっごくすかせておいたの~!
まだ明るい食堂には15~16人ほどの人がいて、みんなこの宿の再開を目指してやってきた人たちなんだろう。
女将さんがそれぞれのテーブルを挨拶しながら回られていた。
お味噌を付けて焼かれた岩魚はまだ温かく、ちょっと甘めのお味噌とあいまっておいしくいただいた。
添えてあるキャベツに香ばしいゴマがかかっていたり、ポテトサラダは野菜がたっぷり入っていたり、
ミョウガをローストした鴨肉に巻いて食べたりと、色々楽しめた。
あとから運んでくださったお椀は、たくさんの野菜、そして豚肉のコマ切れ。
豚汁とはまた一味違うおいしさ。冷えてきたのでその熱さがとてもありがたい。
同時に運ばれたこれまた熱々の揚げ出し豆腐。
薄味で豆乳のスープだろうか、ナス、エリンギ、ブロッコリーも。とっても豊かな気分になったのだった。
そのほかのお刺身やコゴミなどもしっかりいただき、ご飯もちゃんと食べて、
デザートの寒天とお茶。
とってもおいしくいただきました~!
お風呂は夜は10時まで。朝は7時から。
この夜はとんでもなく冷えて、零下となった。
夜ガラス戸を開けてテラスから月と星を見上げた。
朝食は7時半から8時のあいだに食堂で。
お昼を食べなくてもいいように、私としては珍しくちゃんと食べました。
午前中の光の中で入れる喜び!
もう宿泊客は私だけのようで、
この風呂場、1人で堪能。
まだボイラーの調子が安定していないのだろう、時々すごい勢いでお湯が循環しだしたり
突然パタッとすべて止まってしまったり。
循環の口の下には、管の錆だろうか、茶色い断片がたくさん落ちていて、宿の再開に向かって整備がなされても、
順調に駆動するまでには時間がかかりそうである。
湯面も本日は小さい風呂は縁まであったが、逆に大きいほうは縁から下がっていた。
閉鎖し、そして再開する、ということは、大変なことなのではなかろうか。
多少老朽化していても毎日動かし続けていれば、水もお湯も機械も建物もとどこおりなくいくような気がするが
一旦止めたものを再び動かすということは、とても大きなエネルギーが必要になるように思う。
1人だったので、源泉を湯桶で小さい湯船にたっぷり入れて、
一段とぬる~い、そして濃~い感じにしちゃいました~。
体中、あわ~ あわ~ あわ~ あわ~ となり、なんだか自分の体が人間じゃないものみたいでした~。
だれもいないので男湯ものぞいてみました。
造りは同じ。
打たせ水の雰囲気がちょっと違っているけど。
ガラス越しにサンサンと降り注ぐ日差しは暖かく、
こんな日向ぼっこは懐かしい。
真っ青な空。暖かくおだやか、雲ひとつなく晴れわたった。
宿から登って20mくらいのところに源泉が湧いているというので、見に行ってきました。
ちょっと不思議な、美しい光景です。
日に照らされ、湧き出た源泉が輝きながら流れていく。
苔の小島の間を通って、生きもののように。
ファンタスティックな、地球上でない、異星の風景のようだった。
山はまだ新緑には程遠いけれど、植物たちはしっかり春の準備をしている。
陽だまりでは緑が見え始めていた。
バタバタバタ… とかなり低空で何往復もするから、なんだろう?と思って見ていると
大きな荷物を山のほうに運び、戻ってまた運び…
ああ、きっと連休に向けて再開する山小屋に運んでいるんだ。
これから八ヶ岳はたくさんの人たちが登るんでしょうね。
本日の夕食は…
1人ですって!
女将さんが「だれもいなくて、寂しいですね」
「あ~ 慣れてますから、全然!」
そのときガラス戸の向こうに突然ハラハラ雪が。
献立は全部変えてくれた。
ニジマスの甘露煮。
昨夜も出た、アンズの果実酒。市販のものだそうだけど香りがよく、甘く、いい食前酒です。
熱燗で1合。
だ~れもいないのよ~
蕗味噌ののった大根とコンニャク。これも熱いのを運んでくれた。
「もうちょっとすると山菜が色々でてくるんですけど…」
山菜なくてもおいしい天ぷらだった。
今日は鳥のソテー。そしてポテトサラダにはレーズンがたくさん。
鱒、そしてウドの歯触りとかすかな苦みがおいしい、わけぎの酢味噌和え。
洋皿はビーフシチュー。
お母さんの手作りの味。量もたっぷりありすぎ、十分満足。
1人でもゆっくり、味わいながら、たいへんおいしくいただきました。
お昼食べなくて正解!
昨夜よりかなり暖かな夜で、テラスから煌々と輝く月を見上げた。
夜も1時間半ほどぬるいお湯に揺れた。
従業員のお嬢さんたちが入って来たけど、私はそのまま小さいほうのお風呂を独占しちゃったのであった。
送りの車が9時なので、朝食の代わりにお弁当にしてもらった。
朝、テラスから見える樺の木の色が変わっているのに気づいた。
ここ2日間で、芽が膨らんできたのだろう。
こんな自然を目にすると、コセコセした事態に振り回される自分の感情が、
なんだかばかげていると感じられるのであった。
あ~! わたしゃ自分の信ずる道を行けばいいんだわ~!
飢え死にしない程度に稼げりゃいいし。飢え死にしそうになったら誰か助けてくれるだろう。
9時に1人で車に乗ると、女将さんが運転して送ってくださった。
急峻な山道を下りながら
「この道を通されたのは大変だったでしょうね」とお尋ねすると、お風呂の岩組みも、この道も、40年前にご主人が造られたのだという。
そのご主人が9年前に心筋梗塞で亡くなられたのだそうだ。
突然のことで、喪失感はいかばかりか… 想像するに難くない。
女将さんは「たいへんですが、宿を続けていくことが、主人の遺志だと思います」とおっしゃった。
宿を継ぐ息子さんがいらっしゃるのが頼もしい。
電車に乗って、作ってもらったお弁当を広げて食べた。おいしかった。
向こうの席ではサラリーマンが新聞を広げ駅弁を食べていた。
春の足取りを観て、足音を聴き、心の洗濯をした、小さな旅だった。
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