3月も終わりとなれば、東京では桜の季節で、
いつ咲くのかと、その話題で毎日持ちきりであるが、
今年の陽気はいささかおかしく、当分先かと思いきや突然に暖かくなってあっという間に咲き出した。
北海道から帰る頃には、おおむね散っていることだろう。
季節が巡って去っていく、体にしみこんでいるその時間の流れの記憶と、
余りにも違う最近の現実とのギャップが大き過ぎて、戸惑うのである。
今年の北海道の天候も、かなり不順らしい。
それでも季節が着実に春に近づいているのは、ありがたいことで、
これが春になっていくのではなくて、秋の気配となり再びドカ雪が降り、氷点下になってしまった暁には、
人々は、そろそろ人類も終わりだなあと思うことであろう。
そうならないことを、切に祈るのみである。
スーさん夫婦とまた、鹿の谷に来られたのは、大変嬉しいことであった。
自分の数少ないえにしは大事にしたいと思い、
けれど自分の一存ではどうにもかなわぬことも出来して、
変わらぬ日常がある日突然に一変することもあろうし、
こうして変わらぬ日常の延長で再会しお互いに笑顔を交わせるのは、その運命をありがたく思うと同時に、
そうでなくなった時のことを受け入れる心構えに気づかされる瞬間でもある。
そして「鹿の谷」の女将さんがお元気でまだ宿を続けてくださっているからここに来られるわけで、
それもまたいつまで続くか、もう行けないのだという日がくることもまた、覚悟するのであった。
自分が元気で動けるうちは、と思い、
なんらかの理由で動けなくなった暁には、
その時は、自分の胸の内に何を引き寄せて自分自身を納得させたらいいのであろうか?
考え出すとキリがない。
そしてここでいま落ち込むのも意味がないとは思いつつ、
この問題は、正直ちょっと平常心に戻ることができにくいのも事実である。
私自身は独り身で身軽であり、子供も家族もないことは人によっては寂しく感じる事態であろうけれど
私は全然そうでないし、2匹の猫を看取ってやる責任があるくらいで、至って気楽である。
病気になった時などやや心細さを感じるが、だからといって孤独死をしてもそれはそれで仕方がないと思っている。
ただしできるだけ人に迷惑がかからない状態であっちの世界に行きたいものではある。
しかしそう望んだからといって、思い通りにいくものでもあるまい。
<ピンピンコロリ>を理想に掲げる人は多いが、なかなか理想と現実は程遠く、
特にいまの日本の現状では、財産も土地も金もない私などは迷惑老人になりかねず、
将来を思うとちょっと暗澹としてしまうのだ。
僅かな距離でも目まぐるしく変わる雪景色に半ば感嘆しながら見とれる。
その吹雪が圧倒的なパワーをひしひしと感じさせながら迫ってくると、
自然の中で、頼りない、小さな存在の人間の姿を、ほんの少し自覚させられる。
だから雪のやんだ時の静けさは、背後にはらんでいたものの大きさを知らしめて、
それゆえ、とても静かだ。
空の蒼さも、雪の柔らかさも、日差しの強さも、
ああ、春だねぇ。
雪の温かささえ感じているのだろう、日向ぼっこで居眠りするキンタのあごが、
次第に垂れ下がっていって、雪にくっつく。
春だねぇ。
また冬の始まりの、再びの雪の季節まで、お別れだわ。
また会える時まで、みんなみんな、元気で。
いいご縁が今後も、続きますように。
ありがとうございました。
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