峰旅館 雪が降ってくると……
既視感が何層も重なった白い記憶。
初めて雪に触れた記憶を辿るのは難しいけれど、
雪の記憶のなかでは、それはすでに知っている白さであり、冷たさであり、触れるとあえかにとけて水になっていく時の感触であり、輝きだ。
東京という都市にとって、雪に覆われる情景は、非日常的な光景だ。
冬のある日、ヒラヒラと白いものが空から落ちてきはじめると、あるところから突然風景が激変する。
そこにあるべきものが見えなくなる。
見たことのないような雪のゆるい小山があちこちに出現する。
車道と歩道の区別がつかない。
チェーンを巻いた車の、シャリシャリジャリジャリという音がたまに響いたあとには
奇妙に静けさを伴った異次元の空間にいるような感覚に襲われたりする。
記憶の古層の中にある思い出は、その非日常感ゆえに、鮮明だ。
非日常空間といえば、私にとっては、伊勢湾台風のあとの、我が家の周辺一体が一面に水浸しとなった光景が群を抜いているが。
大人たちは床下浸水の後始末にてんてこ舞いだったが、私は長靴を履いて1人で自分が通っていた小学校まで行ってみた。
校庭だったところ、そこには一面に広い海が広がっていた。
後にも先にも、あんな風景は見たことがない。
誰もおらず、静かだった。 しばらく佇んで、家に帰った。
「敷石の下には、砂浜がある」
パリ・五月革命のときの、ソルボンヌ大学の学生たちが書いた落書きである。
確かにわずかな期間だったが、その時のパリには現実の砂浜と幻想の砂浜とが同時にあったのだ。
学生たちがあちこちに書いたそれらの落書きを集めて、後に出版された。
『壁は語る』という本だった。
どこかにあったはずなのに、なぜかなくなってしまったが。
あの落書きには名言がたくさんあった。
「禁止すること、禁止!」とかね。
桑原甲子雄の写真集
『東京昭和11年』
あれは昭和11年2月27日、
ニ・ニ六事件の翌日の東京の雪の情景から始まっていたように記憶する。
モノクロ写真の中の、帽子をかぶった男たちの黒い背後の姿。
その向こうの白い雪の中に巻かれた鉄条網の細い線が浮かぶ。
不穏な緊張と静けさを伴った、雪景色の東京の情景だった。
「ニ・ニ六事件 ……
ああ、あの日は大雪だった」
と、記憶している老人たちは口にした。
そんな老人たちももうあまり生きてはいないだろうが。
日本中を震撼させ、この国はどうなってしまうのかと危惧するようなラディカルな事件が、
滅多にない東京の雪景色の中で起こったということ。
一方は、庶民にとっては非日常の政治の世界、
もう一方は気象現象の、まれな非日常の世界。
ニつの非、によって、ニ・ニ六事件は、他の多くの事件とは異なる様相を見せているように感じる。
純白の輝きを美しいと思い、しかし美しさに酔いしれるのみでは、飽食の平安貴族と同じだ。
花を愛で、月を愛で、雪を愛で、
才能があればより良き和歌がつくれるかもしれぬが。
美しい純白の雪の下のどこかには、必ずや醜悪な廃棄物や腐敗臭のするゴミの山があるわけで、
あるいは、歩きにくい雪の道を踏みしめながら通ればそこに、茶色く汚れた通路ができていくわけで。
車が通れば、薄汚れた雪の塊を蹴散らしていくのだ。
そして最近では雪の下の地面から、高濃度のセシウムが検出されたりもするのだ。
その視線を持っていなければ、単なる<雪の好きなおめでたい人>に終わるだろう、と心した。
グレーの空から、また果てしなく雪が降ってくると……
ああ…… こうやって外を見ながら
もう一泊したくなってしまう。
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