2012年 9月22日

群馬 月夜野温泉 みねの湯つきよの館 読書&考え事



群馬 月夜野温泉 みねの湯つきよの館

ちょっと理論的な文章を読むと、全然頭に入らない。

これ、夏のとんでもない暑さのせいよ。 と思いたいのだが。

不安。
ひょっとして老化現象?  怖いよ~




群馬 月夜野温泉 みねの湯つきよの館

しばらく読書から遠ざかっていたから、
もう頭脳使用不能で、完全おバカ状態になってしまったのだろうか……

じんわりと恐怖感が忍び寄る。

うわー  認知症って自分じゃわからないしなー
もうだめってことになったら、
1人だし、気づくのが遅れて手遅れってことも。

きゃーーー


しかし、電車で読書すると、けっこう読めることが分かった。
ほっ。 まだなんとかなるかも。




群馬 月夜野温泉 みねの湯つきよの館

しかし今年の夏の暑さと湿気は、ホントに参った。
夏は苦手、けれどとりわけひどかった。

予防薬飲んでいても慢性偏頭痛状態だったし、それが目にきてしまいいつも目が気だるく腫れているような感じでスッキリしない。
仕事は暇だったから家でボーッとしていると、3時ごろ突然横になりたくなる。
1人だからなにやっても自由よ、ベッドはそこにあるし、横になってみた。

なぜか猫も2匹ベッドに飛び乗ってきて、一緒に寝る?みたいな顔で人の枕に顎を載せる。


すると……

なんと昼寝ができちゃうのである。
5時ごろ目が覚める。
え? シエスタ??

私は昼寝ができないたちで、いままで昼寝とは無縁だったのだ。
たまに寝ちゃったりすると、夜寝られなくなるし。




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ところが!
夜も寝られる!もっとも、例によって浅い眠りではあるが。

びっくり~!
昼寝の習慣ができてしまった。いいんだか悪いんだか。

到底、読書なんか夢のまた夢、みたいな日々が延々と続いたのだった。




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やや涼しくなってきて、
このへんでちょっと脳内の錆落としして、まともに考えられる頭にしとかないと、
今後にっちもさっちもいかなくなってしまうとも限りませんね、これは……




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だけど驚いたことに、買おうとした本をすでに買っていたことに気づく。

崩れた本の山を積み直したりする時に。

えっ    これいつ買ったのかしらん?   やばいわね~
いや~ 全く記憶にござんせん。

恐怖!!!


私は本を読む時は、カバーや帯は全部取っちゃって読むのである。

「本は道具だ」  ドゥルーズ = ガタリ
まったくだ。




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厚手の重い本は解体してその時読む2折分くらいをいつも持っているのがいいように思う。
造本家は蒼くなるかもしれないが。

蔵書したければ2冊買って、1冊は道具、もう1冊を棚に収めればいいんじゃないの?
かつての貴族はそうやってたんだから。

日本でのこの状態は危険だけど。




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中島敦『文字禍』よ。
これ味わっていたから、危険度百も承知。
地震のたびにぞっとした。

阪神淡路大震災で書棚が倒れて圧死しかけた俳人もいるしね。

蔵書、一定限度超えないほうがいいわよ。




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かといってすべてデジタルっていうのもね~

年寄りには紙とインクのほうがやっぱり馴染みがあるしねえ。

最近は<自炊>とかの方法もあるし、おいおい妥協点が見つかるのかもね。




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人に借りた本がカバーの上にカバーをかけてシミ一つなく手渡されたりすると、
汚したらどうしようと、読めたもんじゃなくなるのである。

うちではカバーや帯が山積し、読まなくてもとりあえず剥いた本は色もタイトルも地味だったりして存在感がなくなるので、買った記憶も定かでなくなる傾向にある。




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これって高いし、
あ~  買わなくてよかったよ~

ふーむ、これを買っていたんだということは、方向は合っているみたいね。
だいたい進むべき方向は感知してるってことかな。

方向を指し示してくれる師がいないということは、
堂々巡りしていても反対方向に進んでいようとも、自分じゃ分からないのである。
その結果、試行錯誤しながら亀の歩みのように、えっちらおっちら進むしかない。


まあそれが一人、ということなんだろう。と、自分で自分を慰めるしかない。




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で、温泉の行き帰りの読書は、ちょっとした楽しみになった。




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今日もいそいそと本を取り出し読み出したら
背後から女の子2人のけたたましい笑い声がする。
本、読めねーよー!

高校生の旅行だろうか、はしゃいでのべつまくなしおしゃべりして、車中は人も少なく静かなのになぜに私がこんな目に。

うーん、もうちょっと静かにしましょうね、と注意すべきか。




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そしたら

「新居は快適?」
「うん、やっと落ち着いた」
「賃貸?」
「ううん、分譲」

え?  この会話、高校生じゃないわね。

「えーーっ 分譲!  ご主人頑張ったのね~」
「ま、何とかね」




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お前ら、いい年して周りに迷惑かけるな!

注意する気も失せて本も投げ出し、上毛高原まではあっという間だし、我慢するか。
とは思うが延々と

きゃはははー  それでさー  

そーなのおー  

きゃははー 
きゃはははーーー

だった。
バカ女達め!


降りる時に<頑張ったご主人>のバカ嫁をみたら、つまりは私の世代が躾けるべき娘の世代であった。




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バカ男め!ということがあまりないのは、最近の男の存在が希薄である証拠かもしれぬ。

電車で身重の女性が乗ってきて席を譲る時に、隣で寝たふりしているどうみても疲れを知らない大学生みたいな若いのがいると、
お前な~「大人の休日ジパングカード」持っとる私が席を立ち、
なぜにお前は座っとるんじゃ!と思うことはあるが。




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宿に着いて即刻風呂に行ったら

日帰りの若い母娘2人。
「こんにちは」と挨拶するも母、聞こえないふり、もしくは無視。

ふ~ん。




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5~6歳の娘、湯船、プールの代用品として使用。
湯面、淵から10センチ降下。

まあいいや、ざぶっと入ってあとで入り直そう。

娘、ダッパンダッパン波だてて泳ぐも母、注意もせず大量に泡泡して体洗濯中。
「新幹線見える?」などと言いながら。

(バカ女め! 親の顔が見たいよまったく! 見たら私とたいして歳が違わんのであろう。
あんたの娘の躾はなっちゃないし、孫はぜーんぜん可愛くないガキだからね!!)




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私はカッパのように泳いでいる女の子を、ただじっと見つめた。
睨むでも微笑むでもなく。

視線を逸らさず見つめるだけ。

彼女にとっては、突如パノプティコン出現!




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チラチラこっちを見ていたが、やがて
「暑いから出る」
母親「え?もう出るの?」
当たり前だろー  プール代わりにしてればのぼせるわい!

やがて母親も出ていった。




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娘は訴えたかもね~
「あのおばさんが見てた」

「見てた」に対して、母親はどう答えたかちょっと興味ある。

そう 「見てた」 は、
「睨んだ」でもなく「笑った」でもない。

わたしゃ君たちの20倍くらいの資本投資して風呂に入りに来てるんだからさ、
「見る」ぐらいしてもいいのよ。




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その後私は床の泡をシャワーで流し、お湯が溜まったままの桶を片付け、
椅子も隅に積み上げて、次に私が入る時に見苦しくないようにした。

2時間後、加温循環、冷鉱源泉わずかに投入のお湯も溜まりたいへん清々しく入れたのである。




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最近テレビをつけると、コマーシャルで、懐かしい声が流れる。

おお、デボラ・ハリー。

<ブロンディ>というバンドは、デボラの容姿に目がいってしまうことが多かったが、今思い返してみるとその音楽は常にあの時代の新しさを追求していたように思う。


コマーシャルに誘発され、念のため持ってきたipad開いたら
あら、孫さん、頑張ってるじゃない?!
auのスマホの3Gはヨロヨロ状態であるが、soft bankプラチナバンド、アンテナ5本で3G
バッチリである。

You Tubeで懐かしき<heart of glass >なぞ聴いてみた。
ブロンドのキュートなデボラが歌っていた。

若き日々に、一瞬、戻る。




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ちょっと前に美空ひばりがジャズのスタンダードを歌っているのをコマーシャルで流していたが、
私たちはあの演歌の女王、<お嬢>が時折テレビで英語の歌を歌っている姿を目撃して、
あら!ド演歌のおばさんが、と、内心少々ばかにしていたのが、その歌を聞き呆然とした記憶を持つ世代である。




同世代のミュージシャン、ギタリストやピアニストと何かの弾みで

そういえば……の話になり

「美空ひばりの英語の歌聴いたことある?」
「あるある、あの人の英語の歌凄いよね」
「うん、発音、それっぽいねーちゃんの変な巻き舌の英語よりずっと綺麗だしね。
やっぱすごい!」
「『恐れ入りました』ってなるよね」

などと小声で話すのであった。

<スターダスト>なぞ歌いバックバンドの音が消え、余韻の静けさの中で、テレビのカメラに向かって彼女は、
どや!顔をするのである。
はいはい、素晴らしいでーす。    もう何も言えません、女王様!とひれ伏す。




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風呂場で 
シャー    ザー   
という奇妙な音が聞こえる。

下の道路に車は通っていないし、のどかな田園風景である。
何だろう?
部屋の窓を開けてもこの音は聞こえる。

理由がわかった。
宿の前は関越自動車道だったのだ。




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凄い音だね~

一日中鳴り響く車の音。
周辺、人家もあるが田舎だから苦情は出ないのだろうか?

まあ、そういうところに造るのであろう。
勿論、間接的に私もその恩恵は受けてはいるわけだ。




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昔沖縄に行った時に、夜11時過ぎに、スイカをぶら下げながら2人で嘉手納の街を歩いていて
嘉手納飛行場の離発着のあまりの騒音で会話ができなかったことがある。

あとで
「アメリカは夜間は10時までと言っとるが、一晩中飛んでるわい」
と聞かされた。


「基地を国外に、最低でも県外」と言われて一瞬幻想を抱かされた沖縄の人々は、
今回のオスプレー配置に至っての日本政府アメリカ言いなり状態に、
どれほどの怒りを覚えたことだろう。




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沖縄の人々が、やり場のないその怒りを封じ込めるために力を入れる身体の微振動が、海を渡って私の身体にまで伝わってくるようである。




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最近は耳を引っ張られるような音楽とか目が釘付けになるような歌手とか見当たらず、
かつてテレビの終了間際に新人歌手が歌ってる映像で藤圭子を見て衝撃を受けたこととか、
彼女の娘が歌っているのを見て、藤圭子の娘だと知って二度びっくりだとか、
そういう驚きはもうなくなって、ひたすら大量生産の消耗品としての音楽が蔓延している現状では、おばさんにはとても好きな音楽、とか見つけることができないのである。




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しかし解散した海外バンドはなぜか再結成され、日本はいい市場なので続々とやってくると、相当な爺さまになったバンドのメンバーが古き良き時代の流行り歌を歌って、観客の爺さまも喜んでいる。

もっともローリング・ストーンズが公演決定ともなれば、それなりにそれなり。

ミックがんばってくれー!
歌いながら踊る、あのちょっと卑猥なダンス、80歳まで続けたら偉いぞー!




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ジェフ・ベックのコンサートには観客席にポール・マッカートニーの姿も。
孤高のギタリストは修行僧のごとく。
クラプトンはアルマーニ着てるけどジェフは黒いTシャツだった。こうでなくっちゃね。

若き音楽解説者がイーノのCDの解説書に、アンビエントミュージックの巨匠みたいな書き方をしていて、
ああ、そうなんだ、Roxy Musicのイーノは欠落していて、もはやすでにアンビエントのイーノなんだ、と年代差を多いに感じたが。


うーん、そうこう思い出してると、ヒプノーシスの、あの芸術性の高いレコードジャケットが甦ってくるのであった。
ああ、レコードジャケットがあった時代……

さりとて、ポール・バターフィールド、聴きたい! 「East   West 」!
あれ、いま聴くとどんな感じを持つのか? などとかつての思い出に浸ることもなにかめんどうな、
いっとき懐かしむだろうけれど、
当然それだけのことなので、そんなことはしないのである。

ミュージシャンはいいよな~
音楽でコミュニケーションが取れるってのは、羨ましい。




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でも音楽しかないのよね、きっと。できることが。

関取は引退してちゃんこ屋開店できるけど、ミュージシャンはバンド再結成するしかないんだね。
というのは言い過ぎか。

中には不動産会社の社長になったりする人がいるの?




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などと考えていたら、そろそろ夕食。

冷蔵ケースに入っている美味しそうな桃は売り物じゃないそうで、見るだけだった。




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バルトからボードリヤールヘ。
『モードの体系』から『象徴交換と死』へ。

ボードリヤールはモードを
「そこでは、未開社会のアクセサリーからSFの小道具まで、あらゆる文化の記号がその背景と関係性から切り離されて再利用され、あらゆるファッションが起源とアイデンティティの不在を押しつけられるという意味で、モードは過去を反復しながら、第三のシミュラークルが演じる永遠の夢幻劇として現象する。」(今村仁司 塚原史 訳)と書いているが。




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では、音楽は、どうなんだろう?
どうなんだろう?




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音楽は<過去を反復しながら、第三のシミュラークルが演じる永遠の夢幻劇として現象>しはしないだろうか?

膝を隠していたスカートが、ある時衝撃的に短くなり太ももがあらわになると、あとはどんどんと短くなってもうそれ以上は腹巻?になった後には、突然踝までのロングスカートが最先端の流行になって、それからは、長いのも短いのもなんでもありとなる。


フランク・シナトラが巷に流れている時に不良の音楽、ロックンロールが一世風靡して、ギターに電気が通ってエレキギターになると、生ギターを奏でながらハーモニカを吹くフォークはちょっとダサくて流行遅れとなる。




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テレビに斎藤和義。

まるで若き日のボブ・ディランみたいな姿でギター弾きながらハーモニカ吹いてた。
うんうん、分かるけどね~
「But I would not feel so all alone  
Everybody must get stoned 」
みたいな歌詞だしさ。

しかし歴史の食いつぶし、か? と思うのである。
どうやら音楽もまた同じであるのだろう。




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考えてみると、マーシャル・マクルーハンは、ずいぶん早い時期に予見していた。




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「メディアはメッセージである」 

「メディア」という言葉を、1960年代にすでにどう捉えていったらいいかを示唆してくれた。

現代社会における「数の力」に関しての記述もあった。
人間に与える「数」のメッセージ性、影響力。




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けれどこの時代以降、テクノロジーによる『人間の拡張』はあったのかといえば、

今思うと、0と1の氾濫の現代において、ここは疑問に思える。

時代は流れ変化し、それがマクルーハンの限界であろうか。




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知の巨人たちはおおむね、20世紀でこの世を去ってしまった。

あちらではさぞかし華やかなメンツで議論がなされていることだろう。

いまのところ私は、

かろうじて21世紀まで生き延びて、しかし亡くなってしまったボードリヤール、
重要なキーワードをランタンのように残してくれた、その明かりを頼りに、進んでいくしかないようである。




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ほんのちょっとではあるが頭の中でギシギシと歯車が回転しだしたような気配を覚え
私はすごく嬉しくなった。

学生時代の、識る喜び、学ぶ喜びが甦ってくるような気がして。




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ああ…… もしもあの頃に戻していただけたら、絶対怠けません!
一生懸命勉強します!

今と違って、記憶力も体力もあるうちに!!!  

誓いまーす!!!




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「青春なんて、若いもんにはもったいなさすぎる」  と言ったのは

確かマーク・トゥエインである。
















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